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いつも世話になっている食堂でテレビ番組雑誌を見せて貰ったらそこに「サラ金」
の広告(当地ではそうは呼ばれていないが、似たものはある)があった。 そこで
提案されている貸し出し金額が少ないと感じ、驚いたことがあった。 自分の現
市場価値を大きくするために借金ということが行われるのだ、とそのとき(毎度
御馴染み、「今更ながら」)気が付いた。
大概の借主は自分のことを高価値に見積もりすぎているのではないか。 それで、
見積もりの通りに一旦は価値を身にまとってみても、結局、無い袖は振れず、
架空の価値が返せぬ借金となって残る。 勿論、逆もある。 自分を高価値にする
決意とともに先ずは仮の価値である借りたカネを身にまとい、しっかり働いて、
借金ではなく価値を自分の血肉にすると同時に世話になった借金も返す。 こう
なると、我らからカネを借りてくれ、と寄って来られるようになるのではないか。
私は自分ひとりに借金が必要になる規模・価値の仕事をしていない小人である
から、借りたカネを土台にグイと伸びるひとを眺めてはスゴイナーと思い、カネ
を借り続けるも返すことも血肉にすることもないひとを眺めてはカナシイーと
感じている。 思い込みの価値分に回転するカネは、ちょっと気の毒ですらある。
カネは、そんなこたぁ知ったこっちゃないだろうが・・・。
今、借金ではなくて、学者先生方のことを考えていて、彼・彼女らが、学問=
凄いぃ、高尚ぅ、という短絡的過ぎる考えから離れて、学問=>xxだ=>好い
じゃーん、という考えへ寄ってきて呉れないかなと気の引き方を模索している。
このxxだの部分を発見するには、自分の価値を高く見積もりすぎていては駄目
なのである。
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