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仕事をもの凄いスケジュールでこなしており、夜になっても頭
が冷めない。
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吉本隆明の「追悼私記」を入手して貰い、ありがたく読んだ。
この中に遠山啓への追悼文があり、なかなかよかった。 何が
よかったかといえば、「潜熱」としての学問を、遠山の姿を
描くことにより語っていることだ。
戦後に東工大で遠山の特別講義があったこと、それを「むさ
ぼるようにして」聴いたことで「潜熱」を感じたこと、「潜
熱」を感じることで「落ちこぼれ」が「拾いあげ」られた
ことが書いてある。
この課程を踏まない限り、「頭のいい坊ちゃん」への卑屈は
剥がれ行かないし、「落ちこぼれ」が「生きてみようかと
いう微光」を自分の中に認識することはない。 そして、
この「潜熱」を感じた者だけが、学問を、ヒトの肉体から
離して大切にすることができるのだとも思う。
少し前に、ワトソンの著書を紹介する記事が経済紙に出た。
学術賞を受賞してから10年くらい後の、爽やかに笑う姿を
とらえた大きな写真が添えられている。 余りに晴れやか
な写真だもので、私は、机に記事を置いたままにしている。
この晴れやかさは、学者の偽ニンジンだ。 あんな風に笑って
みたい気をどこかに抱きつつ、間違っても晴れやかに笑うため
のものではない学なるものを目指す。
「潜熱」は、ヒトが生んだものではないのだと思う。 ただ、
ヒトに憑くことはできる。吉本の本の遠山のページには、メモ
を書きつけた。
ひとはそれ程おもしろいものではありません。 ひとをはなれた
物理や生命は、とてつもなくホンポウに考えることを受け止め
てくれるのでおもしろいのです。
何らかの表現手段によって、「潜熱」を伝えられる者ではあり
たい、と思う。 誰が受け取ろうと構わない。 伝えるには、
常々そいつについて考えている必要があるようだ。
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