http://www.ukinvest.gov.uk/Feature/4037760/en-CA.html
The Office for National Statistics revealed that
in 2006 UK firms increased their R&D investment by
four per cent to reach a value of £23.2 billion.
However, the scoreboard claims the 75 top R&D
investors carried out a 12 per cent increase in
spending and saw a 32 per cent increase in profits.
絶対自由
投稿者:まい 投稿日:2009年 5月 1日(金)00時00分16秒は、「絶対自由の哲学」と題されている。 この本は寝入る前にぽちぽちと読んでいる
のだが、昨日読んだ一節で、この「絶対自由」を把握できた気になった。
中国禅宗の第六代ボスの候補であった神秀(じんしゅう)と慧能(えのう)の二人を
対比し、ここに「宗教的自由というものと道徳との区別」を見出した、とあった。
「道徳的人間は、かえって相対的道徳にとらわれて、絶対の自由に生きられないの
である」としている。 これにはしびれた。 自由という語は、そういう絶対の自由を
こそ指すのだ、とおもった。 絶対、とは、「すべての限界を、こっぱみじんに否定」
し、「もはや道徳性のこだわりはなく、浄汚・善悪の差別も、まったく消えている」
状態を指す。この状態で自由! 絶対の自由が完成に近づけば近づくほど嬉しくも楽
しくもないだろうが、自由度最高潮、つまり、縛りも障壁も抑圧もないないない。
神秀は「風貌秀麗、知識該博、道徳堅固」であり、慧能は全くその逆を行っていた。
第六代ボスには、「あらゆる価値から離れている」ことをもって慧能が選ばれたが、
選んだ第五代ボスは、華々しく後継者を宣言するのではなく、ある夜に、後継を意味
する「法と衣」を慧能に渡し、寺から「逃がした」という。 絶対自由の選択はそれ
ほど、「容易にひとびとにはわからない」ものなのだろう。
それにしても、道徳のみならずある価値に縛られているひとの姿を見た、という記憶
が、慧能ほどあらゆる価値から離れているわけでもない私にさえ蓄積している。 何故
にそのような記憶が形成されるかといえば、そういうひとは、「自由」や飛躍のような
ものをわざわざ叫ぶからだ。 バーチャルに(なんて便利なものなのだ)、自分が最も
大切にしているものに対して頭の中での5分間くらい否定的になってみるだけで、障壁
の姿が見えるというのに。
絶対自由に挑むひとには、会ってみたいし、自分も絶対自由に挑んで行けるようで
ありたい。 各自の持つ最大限の「風貌秀麗、知識該博、道徳堅固」な様を全て棄て
て、ひとは、何で勝負(自己の存在の肯定と確認)できるのだろう。