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雑記 - 221209

 投稿者:ばん まい  投稿日:2009年12月23日(水)06時32分45秒
  こちらは更新が鈍く余り皆様の目を引かぬと踏んで、仕事のこと(いよいよ
無邪気に書けないことが増えてきた!のだが)だの相変わらず得意な壮大な
ことなど書いてゆきたい。 裏サイトでも作ればよいが、隠れて書く必要なく
「読み得る」環境を揃えておきたくもあり、ここを使うことにする。

*お世話になったおとな方のこと

ツラひとつ見せず、たまーにブッキラボウな手紙やメールを送りつける程度
の連絡しかせず、今に始まったことではないにせよ失礼のし放題・し続けで
ある。

先刻、夜のニュースに続く天気予報を眺めたままテレビを点けておいたら、
何やら戦争映画が始まり、子供が疎開する場面が流れた。 私がお世話になっ
た大人がたは似たような場面を体験してお出ででもあり、ひとが離れ離れに
なっていることに格別の寂しさを感じられるかも知れない、と考えた。

そのような格別の寂しさに更に現代になってまで耐えて頂かねばならぬ状況
を私が作り出している、ともいえ、ますます恐縮しつつ、まじめに働きます
のでどうかお許しを、などと言い訳を繰り返している。
 

仕事のこと 2009年版

 投稿者:ばん まい  投稿日:2009年12月19日(土)06時44分11秒
  ありがたいことに、実に調子よく先へ進んでいる。最近では、もう二度と
引っ張り出すことはないだろうと思っていた過去の持ちネタまで動員する
ことにまでなり、持てるもの全てを投入して仕事をできそうな環境まで揃っ
てきてくれている。ようやく二三ヶ月前から、いよいよ雑音が気にならない
ようにもなってきた。機会も以前よりよく見えるような感じもある。

大切に育てられ、教えられ、相手にされ、構って貰い、対応して貰って来て
いる。この先も上手くやって、これまでのありとあらゆる投資へ感謝しつつ
投資の甲斐なんてものも生みたいものだと思っている。
 

ひとを観る

 投稿者:ばん まい  投稿日:2009年11月 3日(火)07時31分4秒
 編集済
  こころあるおカネ屋さん(ここからしてすでにわたしの甘ちゃん幻想に突入して
いるか?)が、「投資もひと(大仰に言えば人格、のこと)だ」と仰せであった。
カネをうまく使える人材かを投資家は眺めている、という。 現実として投資する
側に回った記憶もないのにそりゃそうだと実に簡単に了解していたが、先日まで
とりかかっていた一件の顛末から、やはり「投資もひと」如何によるのであろう
と納得した。

ややまとまった額の取引の話をしていた。ところがこの時の相手がなかなか行儀
の悪い人物であった。 行儀が悪い、というのもあやふやな言い方だが、端的に
書けば、対峙する相手への何らかの尊重を表現できない人物、となる。 取引の
経験が浅かったのかもしれなかったし、余裕のある話し合い環境を作り出せている
感じもなかった。

この取引交渉の際に、ここでいう「行儀」さえよければ、この相手氏は、経験の
浅さも余裕の無さも超えられたように思う。 その人物の要求を跳ね返すべき当方
が、下手したら味方になって、自組織に、「ここはひとつ、我らの懐をチラ見せ
するつもりで云々」などと説得にかかったかも知れなかった。 それが現実では、
これ以上交渉や努力をするよりも、ここでこの案件が動かなくても構わんという
雰囲気が勝ってしまった。

しかしこの人物、わたしの判定と裏腹に、この前大型投資を取り付けたばかりで
ある。 使えるものは行儀だなんだ言っていないで何でも使ってカネを回そうと
いう考えのもとの大型投資か、わたしの眼が濁っていたか。

==========

付記

起業ともなると、そこで競争に参加しているのは当に生き馬の目を抜くような
連中ばかり。 ここにも行儀の悪いのが多い。 そうやって他人のことはなるべく
考えずに突進せねば、起業などというものは前へ進めないのかも知れない。 が、
行儀の悪さへの言い訳(excuse)さえマトモなら、起業過程でのことと理解を
得られよう。 マトモな言い訳が微塵も感じられないので、行儀の悪さばかりが
目立つ。 テクニックとして、でも構わないから(それができていれば、よほど
賢い)、起業家諸氏は、俺様の大成功以上のことを考えているように見えたほう
がよい。 行儀の悪さを隠せない程度の手腕では、その人の20年後は期待できない。
 

前世紀に確立されたブランドの有効利用法

 投稿者:ばん まい  投稿日:2009年10月17日(土)17時19分58秒
  先日、高級なオモチャを買った。パナソニック社によるOEM品であるライカのデジタル
カメラ。日本製。気に入っている。

現在出回っているデジタルカメラはイメージ捕捉機であって、前世紀の機械カメラ
をカメラと呼ぶなら、現在入手できる機械では35mm素子搭載のもののみが、デジタル
化した「カメラ」とやっと呼べるものであると思う。 ところが、このデジタル時代
になったら、「捕捉機」も「カメラ」になるのだ。

「そのまま見える」はずのレフ式機のファインダーに「デジタル補正」が入って
いる製品、それが現在でいうデジタル「カメラ」なのだが、老兵ら(前時代的「
カメラ」メーカー)は既に、デジタル稼動品に前世紀の「カメラ」の定義が再度
採用されるようになった後の製品展開を考えていてくれていないと、困る。

先々のことを考える間、ライカは、自分らが前時代に提供した風味・風合いを途切
れなく出し続けるために、腕のよい外部職人に品物を作って貰ったり(OEM)画像の
いじり方を担当して貰ったり(汎用現像ソフトに「ライカチューニング」を組み込む)
していればよい。

あるブランドがブランドとして存在し得るかどうかは、自身が打ち立てた定義をどの
ように扱うかという点にかかっている。 現職場を現行デジタルカメラにたとえたなら、
まさしくこのライカが売っているOEMデジタル機が選択される。 定義の変遷に直面して
いる老兵なのだ。 この機械での最初の一枚(ひとコマ、か)に、朝焼けを撮った。

おフランスのとある学校の経営学修士コースには、「ブランドマネージメント」という
ような課がある。 おフランスの数々の「ブランド」の存続戦略にこの学校の頭脳が貢献
している模様である。 Tactique/Strategie/Plan(Tactics/Strategy/Plan)などという
言葉が、こういう場では明瞭に使い分けられているはず。
 

借金考

 投稿者:ばん まい  投稿日:2009年 9月 3日(木)04時32分58秒
  いつも世話になっている食堂でテレビ番組雑誌を見せて貰ったらそこに「サラ金」
の広告(当地ではそうは呼ばれていないが、似たものはある)があった。 そこで
提案されている貸し出し金額が少ないと感じ、驚いたことがあった。 自分の現
市場価値を大きくするために借金ということが行われるのだ、とそのとき(毎度
御馴染み、「今更ながら」)気が付いた。

大概の借主は自分のことを高価値に見積もりすぎているのではないか。 それで、
見積もりの通りに一旦は価値を身にまとってみても、結局、無い袖は振れず、
架空の価値が返せぬ借金となって残る。 勿論、逆もある。 自分を高価値にする
決意とともに先ずは仮の価値である借りたカネを身にまとい、しっかり働いて、
借金ではなく価値を自分の血肉にすると同時に世話になった借金も返す。 こう
なると、我らからカネを借りてくれ、と寄って来られるようになるのではないか。

私は自分ひとりに借金が必要になる規模・価値の仕事をしていない小人である
から、借りたカネを土台にグイと伸びるひとを眺めてはスゴイナーと思い、カネ
を借り続けるも返すことも血肉にすることもないひとを眺めてはカナシイーと
感じている。 思い込みの価値分に回転するカネは、ちょっと気の毒ですらある。
カネは、そんなこたぁ知ったこっちゃないだろうが・・・。

今、借金ではなくて、学者先生方のことを考えていて、彼・彼女らが、学問=
凄いぃ、高尚ぅ、という短絡的過ぎる考えから離れて、学問=>xxだ=>好い
じゃーん、という考えへ寄ってきて呉れないかなと気の引き方を模索している。
このxxだの部分を発見するには、自分の価値を高く見積もりすぎていては駄目
なのである。
 

今のはなし

 投稿者:ばん まい  投稿日:2009年 8月29日(土)06時42分24秒
 編集済
  これをこのように書こうと思い立つ直前まで、学問とか智の蓄積、はたまた最近
でいうイノベーションなどという行為は、「知る」ために為されればよく、その
ような単純な目的のためには、古にはそうされていたように金持ちの趣味好みが
その行為を支えてくれたらよいと考え続け、それが実現することを願ってすらいた。
ところが先日、社内事情を少々知っている優雅な会社とそのライバル社の商品展開
を比較する機会を得たら、どうしても質実剛健に見えてしまうライバル社が優れて
いると(前からちらほらそう感じてはいたのだが)判断せざるを得ず、そこから、
金持ちの趣味好みが智の進展・展開を支えるという優雅な方式は「今」のものでは
ない、と吹っ切れた。

==========

「当地初、現代科学の最先端と粋とを注ぎ込んだ、非常に画期的な製品」が優雅社
によって発売された。 なるほど現代科学の最先端と粋を製品開発に使った様子では
あった。 だが、その新製品には画期的でこそあれ新規同定の成分は入っていなかった。
品物の売り方としては新手といえるか・・・という感想が頭に形成され始めた時、
この優雅社のライバル剛健社が何ヶ月か前に同じ売り方をする「当世初、現代科学
の最先端と粋を注ぎ込んだ、非常に画期的な製品」を売り出していたことが知れた。
剛健社の製品には、これまでに剛健社が開発し続けてきた有効成分が、自己申告に
よると「更に効果的な組み合わせ」を見出された後に、その組み合わせの通りに
入れられているという。

剛健社の、今や「十八番」となったその有効成分は、ここ十年ほどの間、同社の品
に広く使われている。何を隠そう、愛用している。ただし、これまでに何度も、
優雅社を含むライバル製品も使ってみる期間を経た上の愛用である。優雅社では
売り上げが落ちたと言っているその製品群を置くスーパーの棚の隣には、世界中
で最も消費された由自慢する小さな販売促進シールを得た剛健社製品が並んでいた。
実際に剛健社の品は悪くないのだもの、と、その自慢シールには納得させられた。

今に至るまでの20年くらいの間、優雅社も剛健社も、経済危機などというものに
脅かされることなく新製品のための研究と開発に湯水の如き資金を投入できていた
はずである。そのカネをいかに使ったかは、今発売される商品においてうかがい知る
ことができる。様々な製品に対して使える有効成分を開発し、今、その有効成分に
勢いよく稼いで貰っている剛健社は、カネをうまく使った、としか思えない。優雅社
の新製品に入っている有効成分は、同じように幅広い製品に使えるかも知れないが、
優雅社の開発成分とは言えない。

優雅社の仕事振りは、実に優雅である。優雅社のようにカネを使ってみせることが
必要な時代もあったことは理解できるにせよ、この優雅さが、それしか寄って立つ
ところのない、カネも権力も失った元貴族の強がりという風に見える。優雅という点
で現職場にも同じ雰囲気が漂っており、優雅を保つことにエネルギーを使うことは
もう止めて、力強い「今の」優雅を持つ組織への変化を頭に描いている。 勿論、
現職場が今から100年程度の後にも、職員以外のひとに存在を歓迎されるものである
ために、この変化が必要であると思っているからだ。

剛健社の牽引力になっている人物に、ぜひ、会ってみたい。剛健社に危機はあった
のか、どのあたり先を見ているのか、例の「十八番」物質の開発の歴史は・・・・?

古と同じように育てた智は、古では価値在るものと見えても、今ではそう上手く価値
を着ることができない。 今にあって、智は、今の育て方で育て、今着せられる価値
を身に着けてゆく。 古でいう価値と今でいう価値に表現のしかたでの差異は出ると
思われるが、古の価値も今の価値も、ヒトに結びつくものである以上、どちらもそう
気分の悪いものにはならないはずである。 今は今のやりかたで、行ってみよう。
 

全てを尊敬し、ただひとつを納得しつつある

 投稿者:ばん まい  投稿日:2009年 8月 9日(日)21時04分53秒
  少し前まで、時間は経つということだけは真実のように感じられて少し
落ち着いて居られたように思うが、このところ、真実なるものはナニを
ドウ尽くそうが知り得ないということにのみ納得でき、時間のことはどう
でもよくなってきた。 得体の知れぬ総体(真実・世界)の範疇に全てが
ごちょごちょ、こまごまと在る。 時間の流れもごちょごちょの一つで
あろうし、生死のような現象も物質も解釈も、どれもまぁ、同じような
こまごまとした泡沫の一つなのだろう。

知り得ないもののことは知らずとも構わないという心境に前よりも近づく
に至っとしても、恐らく、知り得ないと納得するに至るまでの様子(原因
や経過)とか知り得ないという状態の表現をやりたいから、まだ生から離
れないでいる。 知り得ないということをなるべく深く納得したほうが、
なんだか、世話がない。

ああでも、時間云々などと抜かしていた頃と比して、様々が楽だ。 頭も
首も以前よりはまわるようになったような気がする。 気がするだけでも
ありがたいことだ。
 

独自独創

 投稿者:ばん まい  投稿日:2009年 7月 7日(火)06時47分1秒
  地表下にあるトロイアの街を透視して納得するかの如くに、まだはっきりと観て
いないものの存在を確信しつつある。 独自独創の度合いが突出しているという
タイプの天才のその独自独創の内容とは、実に実に大多数の考えから飛び抜けて
いて、かつ、おいそれとは追随できないほどに周囲の常識なるものからかけ離れて
いるということが、その確信の中身。

勿論どのように飛びぬけたウルトラ変人の天才の独自独創といっても、何もの
からも孤立無縁なものではない。 更に、あらゆる努力は尊い。 そうだとしても
この確信が明らかになればなるほど、今の時点で哲学者とされている人の殆どは
史家(哲学分野)に、科学者の大多数は実験助手に見えてしまう。 過去の哲人
の思想について知っていても、それらと比することのできそうな自分の思想を
持っていなかったり、何度も塗った壁にまたひと塗りを加えるような実験結果を
出すことになる仕事はできても、壁を崩して智に見通しを与えるような予想を
持っているわけではなかったりする。

史学も壁塗りも尊い。 尊いものが身の回りに豊富であるとどうしても、突拍子
もない独自独創の図抜け振りを検出したくなる。 解釈・再解釈や説明・再説明
といった理解の表現の先に誰にもまだ思いつけていないことを観ている、という
様子を眺めたい。 その思想や予想の、ぶっ飛んだ自分の位地まで現智を動かす
その力強さたるや、痛快以外のナニモノでもない。
 

絶対自由

 投稿者:まい  投稿日:2009年 5月 1日(金)00時00分16秒
 編集済
  梅原猛の書いた『仏教の思想7・無の探求<中国禅>』(角川ソフィア文庫)の第三部
は、「絶対自由の哲学」と題されている。 この本は寝入る前にぽちぽちと読んでいる
のだが、昨日読んだ一節で、この「絶対自由」を把握できた気になった。

中国禅宗の第六代ボスの候補であった神秀(じんしゅう)と慧能(えのう)の二人を
対比し、ここに「宗教的自由というものと道徳との区別」を見出した、とあった。
「道徳的人間は、かえって相対的道徳にとらわれて、絶対の自由に生きられないの
である」としている。 これにはしびれた。 自由という語は、そういう絶対の自由を
こそ指すのだ、とおもった。 絶対、とは、「すべての限界を、こっぱみじんに否定」
し、「もはや道徳性のこだわりはなく、浄汚・善悪の差別も、まったく消えている」
状態を指す。この状態で自由! 絶対の自由が完成に近づけば近づくほど嬉しくも楽
しくもないだろうが、自由度最高潮、つまり、縛りも障壁も抑圧もないないない。

神秀は「風貌秀麗、知識該博、道徳堅固」であり、慧能は全くその逆を行っていた。
第六代ボスには、「あらゆる価値から離れている」ことをもって慧能が選ばれたが、
選んだ第五代ボスは、華々しく後継者を宣言するのではなく、ある夜に、後継を意味
する「法と衣」を慧能に渡し、寺から「逃がした」という。 絶対自由の選択はそれ
ほど、「容易にひとびとにはわからない」ものなのだろう。

それにしても、道徳のみならずある価値に縛られているひとの姿を見た、という記憶
が、慧能ほどあらゆる価値から離れているわけでもない私にさえ蓄積している。 何故
にそのような記憶が形成されるかといえば、そういうひとは、「自由」や飛躍のような
ものをわざわざ叫ぶからだ。 バーチャルに(なんて便利なものなのだ)、自分が最も
大切にしているものに対して頭の中での5分間くらい否定的になってみるだけで、障壁
の姿が見えるというのに。

絶対自由に挑むひとには、会ってみたいし、自分も絶対自由に挑んで行けるようで
ありたい。 各自の持つ最大限の「風貌秀麗、知識該博、道徳堅固」な様を全て棄て
て、ひとは、何で勝負(自己の存在の肯定と確認)できるのだろう。
 

四諦八不

 投稿者:ばん まい  投稿日:2009年 3月18日(水)05時56分41秒
  もう何年も前に聴いた、ある先生のひとこと「もうあとは、トボトボ生きて
ゆくしかないね!」を思い出した。 先生は、「トボトボ」のお供に、ルネ
サンス研究を選ばれたのだろうか。

こう食いつなぐための金銭を得る仕事で疲れては、何のための食いつなぎ
なのかと思う。
 

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