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絶対自由

 投稿者:まい  投稿日:2009年 5月 1日(金)00時00分16秒
 編集済
  梅原猛の書いた『仏教の思想7・無の探求<中国禅>』(角川ソフィア文庫)の第三部
は、「絶対自由の哲学」と題されている。 この本は寝入る前にぽちぽちと読んでいる
のだが、昨日読んだ一節で、この「絶対自由」を把握できた気になった。

中国禅宗の第六代ボスの候補であった神秀(じんしゅう)と慧能(えのう)の二人を
対比し、ここに「宗教的自由というものと道徳との区別」を見出した、とあった。
「道徳的人間は、かえって相対的道徳にとらわれて、絶対の自由に生きられないの
である」としている。 これにはしびれた。 自由という語は、そういう絶対の自由を
こそ指すのだ、とおもった。 絶対、とは、「すべての限界を、こっぱみじんに否定」
し、「もはや道徳性のこだわりはなく、浄汚・善悪の差別も、まったく消えている」
状態を指す。この状態で自由! 絶対の自由が完成に近づけば近づくほど嬉しくも楽
しくもないだろうが、自由度最高潮、つまり、縛りも障壁も抑圧もないないない。

神秀は「風貌秀麗、知識該博、道徳堅固」であり、慧能は全くその逆を行っていた。
第六代ボスには、「あらゆる価値から離れている」ことをもって慧能が選ばれたが、
選んだ第五代ボスは、華々しく後継者を宣言するのではなく、ある夜に、後継を意味
する「法と衣」を慧能に渡し、寺から「逃がした」という。 絶対自由の選択はそれ
ほど、「容易にひとびとにはわからない」ものなのだろう。

それにしても、道徳のみならずある価値に縛られているひとの姿を見た、という記憶
が、慧能ほどあらゆる価値から離れているわけでもない私にさえ蓄積している。 何故
にそのような記憶が形成されるかといえば、そういうひとは、「自由」や飛躍のような
ものをわざわざ叫ぶからだ。 バーチャルに(なんて便利なものなのだ)、自分が最も
大切にしているものに対して頭の中での5分間くらい否定的になってみるだけで、障壁
の姿が見えるというのに。

絶対自由に挑むひとには、会ってみたいし、自分も絶対自由に挑んで行けるようで
ありたい。 各自の持つ最大限の「風貌秀麗、知識該博、道徳堅固」な様を全て棄て
て、ひとは、何で勝負(自己の存在の肯定と確認)できるのだろう。
 

四諦八不

 投稿者:ばん まい  投稿日:2009年 3月18日(水)05時56分41秒
  もう何年も前に聴いた、ある先生のひとこと「もうあとは、トボトボ生きて
ゆくしかないね!」を思い出した。 先生は、「トボトボ」のお供に、ルネ
サンス研究を選ばれたのだろうか。

こう食いつなぐための金銭を得る仕事で疲れては、何のための食いつなぎ
なのかと思う。
 

蓮華は泥沼から出る

 投稿者:ばんまい  投稿日:2008年12月 5日(金)15時10分58秒
  いろいろ考えることあり、丑四つ時に目が覚めたら眠れなくなった。
以下、自分を持ち上げつつ書くに連れての持ち上げ部分については
杞憂であって呉れて構わない。

==========

国際・男女・老若などと、何かの「際」を意識してとりかかって
いるうちは、そのことには、健康などのように各人にとって切実な
こととの関わりとにまだ距離があるのだ、と感じる。 自分の肉体
的・精神的健康というものが関わると、国の違いだの男女差、年齢
などに、ひとは、拘っていられない。

私は幸か不幸か自分が少数派となることをこれまで何種類か経験
してきているので、それまでは意識され続けてきた「際」というも
のが瞬く間に撤去されて、ヒト個体の肉弾戦となるという場面を
何度か味わったようにおもう。 正直、この肉弾戦は醜いと感じる
が、私は相当に御目出度いので、ヒト種はこの肉弾戦を自滅のため
にやっているのではなく、よりシブトイ個体を選んでより未知へ
突き進ませようと考えているから行うのだと考えている。

たとえば私は「まぁもしかしたら金ズルになるかも」くらいには考
えられていた労働力であった時期があって、その頃には同僚が「際」
をよくよく認識し、「まぁ多少の金ズルかね」などと穏便にあしらわ
れていたていたと思う。 これが可笑しなことに、何故か私なぞが
「割とマジな金ズル」になってくると、同僚は、「際」など悠長に
考慮している余裕を無くし、穏便にあしらうことを途端に止め、自分
たちの方が金ズルとして優れている(実際、優れているのだが)こと
を(私にまで)主張し始める。 この主張=先述の肉弾戦、である。
応じるも応じないも、頼みもしないのに向こうから仕掛けてくれるから、
この手の肉弾戦にはある時間を割いて付き合わざるを得ない。 肉弾戦
の代わりに、主張を強化すべく、よりより優れた金ズルになる努力をし
てくれたらどれだけ楽しいか、とおもう。

私はこの肉弾戦を続けるために生きているのではないから、いずれ
戦場を去ることになる。 たいがい、新境地を開拓することになる。

成功した起業家などがよく、「夢を持ち続けることが成功の秘訣」
というようなことを言って、ありがたいことに、大切なことを確認
してくれている(こういう言葉は、世間の多くが成功者と思える
ような人物が言ってくれるから日の目を見る・渡辺一夫の師匠で
ある辰野隆でさえ自身を「俺たちは、東大の教師だということに
なっているから、何とかやってゆけるんだぜ。そうでなかったら、
世間からはなもひっかけられねえよ。」と云う程度としている>
況や非辰野非渡辺をや)。

私にとって起業家諸氏の仰せになる「夢」とか信念といえば、これ
までやってきた新境地の開拓が、自分にとってまぁそう具合の悪いもの
ではなかったという程度の(ショボい・笑)証拠に支えられた、
新境地を開拓することを仰せつかっているのならありがたいことです
(ヒトひとりが「そう具合が悪くない」という状態に居られることだ
し)、という内容だ。

「私の信念といえば新境地を開拓することは大切という認識」でも、
「私は自分が新境地を開拓することを使命と思う」でもない。 これ
まで(=ほんの30分ほど前、と考えてよろしい)の私だったら、
信念なるもの、もう少々積極的に読める言葉で書いたこととおもう。
今だからこう書くし、このようなことは今だから書けた。 恐らく今、
私はまた新境地の開拓に取り掛かり始めている。

明らかに現状よりも優れているものが好きだ。 何をもって「優れ
ている」とするか---自棄の程度かも知れない。 自棄できると、醜
い肉弾戦を突破できる。 以上を書こうと思ったとき、分不相応
にも、題名にあるようなことをイメージした。
 

ご利用ください>くうさん

 投稿者:まい  投稿日:2008年11月22日(土)08時49分6秒
  お越しくださり、どうもありがとうございます。

何だか連絡にお手間を取らせてしまったような気がします(スミマセン)。
件のチャットは、ご友人とお使い頂けるようですと、嬉しいです。
 

お久しぶりですね

 投稿者:くう  投稿日:2008年11月19日(水)13時50分42秒
  ご無沙汰してます。くうです。
最近友人がイギリスに留学しました。
それで、ここのチャットを友人に紹介してもいいでしょうか?
時間の関係でうまく使えるかどうかわからないのですが。
 

ネタ帳-291008

 投稿者:ばん まい  投稿日:2008年10月29日(水)19時50分28秒
  Wisdom 2.0 - 基礎研究が大切、て、センセイ方、賞貰う前に
主張できますか? ネタ揃っていますか?

以下、ちょいと「コンサルさん」みたいなことをかき集めた
成果を貼り付けておく。 ただし、「技術革新によって世の中
は便利になる・企業は儲かる・経済が活性化する・・・よい
ことずくめ!」とだけ考えるのは短期視点頭で、もう少し、
なんと言うか、「Wisdom 2.0」のようなこと-これからの
「智」の牽引力はなにか(経済か?)を考えてゆきたい。

先ず、Innovationが経済を回転させる、ということを上手く
表現できている文章を読みたかった。

http://www.headshift.com/blog/2007/10/behind-enterprise-20-perfor.php
If we live in a knowledge economy, innovation
is a key driving force of performance and
competitiveness.

この程度書ければ十分。

で、こういう主張を支えるのは、「研究開発投資の成果
が経済効果に現れる」という数値解析結果。

http://www.ukinvest.gov.uk/Feature/4037760/en-CA.html
The Office for National Statistics revealed that
in 2006 UK firms increased their R&D investment by
four per cent to reach a value of £23.2 billion.
However, the scoreboard claims the 75 top R&D
investors carried out a 12 per cent increase in
spending and saw a 32 per cent increase in profits.

はぁ、よかったですねぇ。 ただし、「R&D」の、「D」
の方に莫大な投資が行っていて(巨額を喰ってしまう)、
「R」は、そうカネがかからなさそうなのに手厚い待遇
を受けていないように見える。

この辺り、「R」と「D」を分けた数値分析の結果は、
転がっていないのかな。 国家予算の上での「基礎研究」
への投資額という数値なら、あるけれどもね。

数値で攻めないのなら、何によって世間に納得して貰い
ましょうか。

続く。
 

雑記-231008

 投稿者:まい  投稿日:2008年10月24日(金)00時51分0秒
  飲んだアルコールに体が異様に反応するようになって久しい。
この異様な反応を沈静するには胃腸を空っぽにするしかなく、
そのための嘔吐に呼び水のように少量の水を飲むと、少しは
楽に胃の中が空になる。

変なことを先ず紹介したが、私の現在の生状況(のような
もの)も、この胃腸空化の過程と似ている。 少し何かで踏み
出すとか取り入れるということをしては、その踏み入れ・取
り入れ諸共に何かもっと大きなものを頭から次々に捨てつつ
生き延びて行っている。 幸いなのは、そういう捨てはよかっ
た、と思えることだ(これはまぁ、根本的に後悔というもの
をやらないという性格が幅を利かせているだけかも知れない)。

捨てているものは、ある希望であったり欲であったり夢で
あったりする。 捨てるに至っているということは、言葉の上
からは、欲を捨てて来ている、とした方が格好はよいにしろ。
希望や夢と少なくとも一時は思っていたものを捨てることに
なったなら、若い頃ではカックリ来ていただろうが、中年に
もなるとそう繊細でもない。 「呼び水」を取り込んでまで、
或いは、「呼び水」の助けを得る必要があるほどの古臭い
希望や夢を捨てているからだとおもう。

若い(少なくとも30代中盤かなぁ)頃と、学ぶという所作
の実動の様が全く異なる。 もはや取り入れることはない。
捨てて、視界が開けることをして今や「学んだ」としたく
なっている。 それこそ若い頃にも捨てることの重要さを
どこか(年寄りの文章でだろう・笑)読み、捨てるぞ捨て
るぞと意気込んで「捨て」にかかっていたが、今ほど上手
く捨てられていなかったようにも思う。

このところ盛んに捨てているものに共通したキーワードは
「マス、masse」であると感じる。 塊・群・大多数。
あと、自分の中で一生懸命に正当化してきていたウソ善や
キレイゴトも、よかれと思って(捨てるため、とは思って
いない、念のため)導入した「呼び水」によって結局
捨てることになっている。 まぁ、よいのではないか。
 

雑記-040708

 投稿者:ばん まい  投稿日:2008年 7月 4日(金)20時42分47秒
  上海・東京・ソウルを巡る機会があったお陰で、文化(というか、
「文」というか「智」というか、civilというかcivilisationと
いうか)について考え直すことができた。

文化をここではやはり、意識、とでも書くとする。

ひとの持つ意識は刻々と変化する。 しかも、自分ひとりのこと
だけを考えるに留まらない方向へと変わってゆくものなのでは
ないか? この方向の変化を「文」化と呼ぶとなれば、文化の語
の使われ方に今以上に納得できる部分が増える。

体裁と自身を保つことに情熱を傾ける、という、未「文」化
(この表現を、生物学での未分化という語の存在に準えると面白
い)な状態にある人間には、現存する生命以外に重要なものの
存在が見えていない。 歴史(という概念、でもよい)や表現(
芸術、でもよい)などが、「現存する生命以外」のものにあたる。

現存する生命(そこに自分が含まれる)以外に重要なものも
ある、と実に考えることができるようになると、体裁や保身の
勢力が弱まる。 こうなると今度は歴史や表現に勢いが付き、
ヒトが自分らについて知り、自分らの紡ぎ出してきた表現を
大切に扱ったりより適切に行うことが可能となる。

=====

アジア各国を訪ねて、「お人好し者」の目指しているもの(「文」
化のバランスをとること)と「お人好し者」の指す「文」化の内容
(先述)について考えがまとまり、そして、そもそもとなる「お人
好し者」の存在を(自分において)体感できた気がした。

私にとっての「お人好し者」として、知人友人ではなく、渡辺一夫
と、渡辺がユマニストと呼んでいた人物を挙げたい。 そのユマニ
スト達には、「お人好し者」に比して自身を投げ捨てすぎていた風
があるが。

=====

今を遡ること12年ほど前にフランスにやって来たとき、私には、
フランスでの体裁を気にしなくてよいことの多いことと、自身を
保つことにのみ躍起になっているわけではない場面に多く遭遇
することが心地よかった。 日本には当時、その心地よさがなかっ
たとおもう(今は、12年前よりも「心地よく」なってきている
と感じた)。

これまで心地よい思いをしてきたのだから、今後は、より多くの
ひとが同じような心地よさを味わえるよう努めるか、心地よい
状況にあるからこそできることに取り組んでゆかなければと思う。
自分では、自分の感じる心地よさの普及に努めるよりは未踏の地
(智)の開拓に取り組んで、「文」化の先の一端を示せるよう
でありたいと願っている。

偉そうなことを書き連ねているが、アジアツアーでは、行く先で
嵐を呼んでは疲れることもあり、これらは、他者の支持に支えられ
た確信のもとに書いたわけではないことも白状しておく。 ただ、
他者の支持こそなけれども、反発を得たことで自信をつけたことでは
ある。
 

メンテナンス中

 投稿者:ばんまい  投稿日:2008年 6月22日(日)20時41分23秒
  投稿が無いから各記事の中に広告を出すとかで・・・
広告回避のため、メンテナンス投稿をします。 そんな
モンですかねぇ・・・レンタル掲示板・・・。
 

lifetechnologieproduct-2

 投稿者:ばん まい  投稿日:2007年12月21日(金)00時02分9秒
  「らくだ」に先ず書いたネタだがこちらに移植。クドい話は
こちらで展開する。

あちらこちらで書いたように、大衆音楽「プロダクト」の作家
にRubinという人物がいて、このひとは(大それたことを言う
が)、よい(最も深く肯定できるという意)仕事をしていると
いう点において目下のわたしのライバルなのだ。 そのひとが
大手レコード会社(レコードというか、音楽娯楽というか)
の執行役に就いたという。 ニュースが飛び交っていた時期に
は他人のことなぞ気にしている時間がなかったので、今頃に
なってこの人事のことを知った。

http://www.nytimes.com/2007/09/02/magazine/02rubin.t.html

「レコード会社」というのはSony BMG傘下のColombiaのことだ。
Sony BMGにBertelsmann AGが50%の出資をしていることが面白い。

企業の挑戦として、私はこのRubin引き抜きを非常に高く評価し、
人事の結果では世に出回る音楽製品の質の向上を期待する。
Rubinには、Rubinの考える「よい」音楽製品を世に出すことに
これまで以上に濃く深く鮮やかに働くよう、期待する。

=====

以下、メモ。

*品・作を名品・名作としている要素・条件の絞り込み(製品を特定せよ)
*人間関係は「潜熱」が介する(カネは二の次)
*信用はゼロだが、機会はある、道具もある(やれ、ということだ)
*だから、何なのだ(これが無ければ御前はアホじゃ)

=====

実に不動なのは、「先へ進むしかない・後戻りができない」と
いうことだ。 これ以外は全て不定。

GOLEMは、面白いことを言っている。 知性を宿してしまった
生きもの(著作の中ではヒトを主に指している)の「先へ進む
しかない・後戻りはできない」状況での選択肢だ。

旅人(ヒト)は岐路に立つ次のような道標を見つける。 「左
へ行けば首を落とす。右へ行けば死ぬ。後戻りは不可」

この言で、「首を落とす」とは、「狂う」ことに近い。 「死ぬ」
とは、「肉体が消滅する」ことに近い。 後戻りできないため、
岐路に停滞(作中では「不毛な失意のうちに停滞」とされている)
という選択肢も挙げられている。

ここで先読みしてイカンのだが、「般若波羅蜜多」は、狂っても
みたし死んでもみたし停滞してもみた末の境地なのであろう。

GOLEMの挙げた選択肢についての「だから、何なのだ」は、「
paramita」だけか?! リクツとしては、paramitaで「不動」の
設定も消せるけれどもね。 ちょっと、小手先で消せているだけ、
という気がするよね。

解っているところまで到達したことはもう了解できている。

誰にも想像できないことをやれば
誰にも想像できないことは起こるだろうし、
誰にも想像できない状況になるのだろう。
 

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